「おせん」其之十五
きくち正太 イブニングKC 講談社
前巻からの「後継ぎ」問題が継続。
純さんはちゃぶ台ひっくり返してきちゃったのね。まぁそれで正解w
あれだけ愛情のこもった「バカ」はそうそう見れないよなぁ。さすが親方。
グリコさんちのほうはなかなかややこしくなってるみたいだし。
真子さんがこれからどうするかも見物かな。
そして「本枯節」。
こういう話ってのはきっとあっちこっちにあるんだろうなと思うとちょっと寂しいね。
いろんな人がいろんなところで戦ってるんだろうな、時代と。
でも確かに自分自身振り返ってみると、だしの素とか使っちゃってるわけで
そもそも鰹節ってあんまし好きじゃないから、削り節も滅多に買わなかったりするわけで。
ちなみにうちにある糸けずりかつおぶしは「かつおぶし削りぶし」でした。
いいもの作っても売れなきゃ続けられない。それが現実なんだよねぇ。
でも、ちょっと前の時代ならいざ知らず、今のインターネットの時代
少しずつだけど作る人と買う人をつなぐ場所も増えて来てるなってのも
楽天とかで見てるとちょこっと感じたりもするわけで。
あとはもう違いのわかる人を育てなきゃどうにもなんないんだろうなぁ。
続きがすっごく気になる。
≪8月20日記≫
書いた日とアップした日が違うのでこういう形になったんだけど
この後、「おせん」TVドラマ化、そして原作休載って状況になってたりする。
TVドラマのほうは、何かもうどこをどう突っ込んだらいいものやらな上がりで激しく涙。
何であんなファストフードのセットメニューみたいなのを作っちゃったんだろうって思ってたんだけど
最終話でちょっと理解できたかなってのがあった。
それまで何度もセリフにあったんだけど「時代の流れ」ってのが。
つまり「そこまでして残さなきゃいけないと言う理由がわからない」ってことなのかなと。
そうなんだよね、「どうでもいいもの」は形が変わろうがなくなろうが気にならないんだよね。
でも自分にとってはどうでもいいものでも、他人もそうとは限らないんだから
人が大事にしてるものを邪見に扱うっていうのはよくないことだと思うんだ。
それをちゃんと教えなきゃ、人として間違った方向に進んじゃっても仕方ないんだよね。
・・・でも、その「人として間違った方向に進んじゃった人」がいっぱい増えて
いつかそういう人たちが大多数になったら、きっとそれが「普通」って言われるようになるんだろう。
そうなった時、「人間らしさ」っていうのはどういう意味をもつようになるのかな・・・
TVドラマを見てから原作を読んだ人とかも結構いるらしくて(うちの旦那さんもそうだw)
ほとんどの人の意見が「なんでこの話をあんな話に?(▼_▼#)」らしい。
でもなー、TVドラマも慈善や道楽じゃないわけで、金がからんでる以上仕方ない部分もあるんだよね。
最初は「原作:おせん」だったのが最後には「原案:おせん」になってたし。
で、もうひとつ。TVドラマが始まってから、原作のほうがずっと休載したまま。
TVドラマの最終話が「本枯節」の話だったので、今連載中の話をやっちゃうのか?と思ったんだけど
しかもドラマの提供が味〇素だったりしたもんだから、ちょっと見物かなと思ったりもしたんだけど
なんだかそれどころの話じゃないのかもしれない。
休載の理由とかもほとんど公表されてないわけで、いったい何があったんだろうなぁと。
できたら再開してほしいなぁ。
っていうか、作者さん元気なんだろうか?それが一番心配だ。